分類3−1<加工食品1>

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 【麦加工品、パン】 【乳加工品チーズバターヨーグルト 【オリーブ、オリーブオイル】 
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】 【ソース】


麦加工品、パン
(別項目に 麦類 麦酒あり) (参考文献番号:22、)
石窯で焼いたパン 製造地:岡山県 小麦(パンコムギと言ったりもしますが)は製粉し、パンなどの麦製品に加工されます。大麦は主にビールや他のアルコールの原料、または家畜用飼料として使われます。ライ麦は製粉してパンの原材料として使われたり、家畜用飼料として使われます。
 中世ヨーロッパの麦畑は土地生産力が低く、その収穫量は不安定なものでした。そのため、全ての人がパンを主食的に食べることはできなかったようです。都市部では比較的早い頃からパンが登場したみたいですが、中世初期、生産者である農民たちは、粗挽きの麦粉を牛乳やバター、チーズや野菜などと一緒にトロ火で煮込んだ「ブイイ」(綴り不明)というお粥のような流動食を主に食べていたそうです。麦を飼料用にまわすどころではありませんね。ただし、牛乳やバター、チーズなどを一緒に調理できたのは、当然ながら牛や羊を飼育している者、またはこれら乳製品を購入、物々交換などによって調達可能な者に限られます。これが不可能な家庭のブイイは、単に麦粉に水を加えて炊き上げるしかなかったようです。
 うちのワールドでの場合、著しく貧しい者が、最も頻繁に麦粥を食べるであろうと考えておりますが、パンが食べられるくらいの農民たちも、たまには贅沢ができずに麦粥を食べるだろうと考えてます。様々な条件のため食糧が充分ではない時(戦時、農作物の不作等)などにも食べられることでしょうね。
 無口な村人が黙って麦粥をすすってる…辺境に位置する、人ならざる者との噂の絶えない謎の領主が治める霧に閉ざされた陰気な村…そんなとこには相応しいかもしれません。
 もっとも、貧しい人たちだけしか麦粥は食べない、というわけでもないでしょう。日々贅沢している人であっても、時には麦粥を食べてみたくなることもあるでしょう。ただし、裕福な人たちの場合、同じ麦粥とはいっても、中に入れる具や煮込む材料は、貧しい人たちが食べる麦粥のそれとは、随分と異なったものになることでしょう。まあ、中世においては、

 農民もいつまでもパンが食べられなかったわけではありません。しかしながら、そのパンの材料が小麦であるとは限りませんでした。ヨーロッパでは地力の弱い「痩せた」土地においては、小麦よりは痩せた土地に強い「ライ麦」を作るのが普通だったそうで、実際に農民たちが口にすることのできるパンはライ麦パン(黒パン)であることが多かったそうです。
 ただしライ麦の栽培には多少の問題があったようです。ライ麦に麦角菌という菌類(カビのようなもの)が寄生した場合、それは毒性をもつものとなり、そのためライ麦パンはしばしば麦角中毒というものを引き起こしたそうです。麦角中毒は消化器に障害を及ぼし、身体の末端部の毛細血管の循環障害、また痙攣を引き起こす原因となり、運が悪ければ生命に危険さえも及ぼしました。16世紀の末頃、これらの原因について「カビの生えたライ麦が怪しい」と判明するまで、末梢血管の循環障害によって手足が腐っていく病気は、目には見えない「呪いの火」による災いであるとして、農村部ではとても恐れられていたとの事です。

【参考:麦角菌】
ライ麦、大麦、小麦、ササ類に寄生する菌類で、寄生したものは成長し、夏秋頃には穂にネズミの糞のような菌核を形成する。ライ麦にできた菌核の中には毒性をもつ成分が形成される。ちなみに近代では、この毒性成分は、精製されるなどして、鎮痛剤、陣痛促進剤などの成分として利活用されるようになったとのこと。

 ヨーロッパ人が麦角中毒の心配をあまりしなくて済むようになったのは、新大陸からポテト(ジャガイモ、馬鈴薯)がもたらされ、痩せた土地ではライ麦の代わりにポテトが作られるようになってからのようです。
 衛生管理の行き届いた現代でこそ「穀物パン」とか呼ばれて喜ばれてたりしますが、昔から理想的なパンとして捉えられてきたのは、基本的には小麦を原料とした「白パン」です。この白パンでさえも、この時代には誰でもが食べることのできた代物ではなかったということですね。まさに「アルプスの少女ハイジ」に出てくる、ペーターのおばあさんの気持ちです(笑)。
 白パンが黒パンより高価だったのは確かで、うちのワールドでは、一般的農民は白パンを手に入れることは不可能ではないけど、贅沢品だから基本的にいつもは自分達は黒パンを食べてる、って事にしてます。さらに貧しい農民であれば、麦粉粥しか食べられないという状況もありえるということで。

 14世紀ごろのヨーロッパでは地域や都市規模などによって較差はあるものの、自家用オーブンがある家は少なく、パン屋に自分で粉を持ち込んで焼いてもらうか(もちろん有料)、共同のパン焼き場で焼いていたみたいです。また地方領主たちが自分の所有する製粉所(粉挽きの水車小屋など)の近くにパン焼き窯を設け、農民たちから使用料を取って使わせてたりもしたようです。ちなみに紀元前2000年ごろのエジプトでは既に粘土製のパン焼き窯が作られ、ローマ時代には石製の窯が作られていました。このタイプの石製窯は多少の材質の変化はあるものの(レンガなど)、長い間に渡って使われ、これとほぼ同じ作りの窯は比較的近代まで使われていました。


 ちなみに中世では皿や食器があまり使われず手掴みで食べていた頃、長方形または円形に焼いた大きなパンを皿の代わりに使っていたようです。仮にも食品であるパンを皿として使えたのは貴族や聖職者(笑)など、裕福な者たちだけだったんでしょうけどね。この皿パン(まないたパンとも言われます)は、トレンチャー(トランショアール)と呼ばれ、ライ麦や大麦、または粗挽き小麦を原料にしたとても堅いパンだったそうです。そもそも焼いてから2〜3日おいといてから使ったとかいう話ですから、相当堅いパンだったんでしょうね。まあ汁気や水分を含む食べ物を載せる皿になってたんですから、当然といえば当然でしょうけど。とはいえ、食事をしているとどうしてもトレンチャーも食べ物の水分やこぼれた飲み物などを吸って柔らかくなってきます。そうすると、給仕役の人が新しいトレンチャーと取り替えに来たそうです。いろんな物を食べてると、味がいろいろ染みついてトレンチャーも美味しくなってきそうですが、王侯貴族など上品な皆様はトレンチャーを食べるなんて「はしたない」ことはしなかったそうです。プライドのために、したくてもできなかったんでしょうね(笑)。宴で酒に酔った騎士たちなどは、調子に乗って食べてしまったとかいう話も結構あるそうです。取り替えられた後の、または食事後のトレンチャーは、どうなったんでしょうね。おそらくは給仕役の人たちが食べたりしてたんではないでしょうか。よほど裕福なところでもない限りは、食べられる物を捨てるなんてなかなかできなかったでしょうからね。

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乳加工品(チーズ、バター、ヨーグルト) (参考文献番号:263242
(総論)
 人間は、ずいぶん古くから、乳加工食品というものを利用していたようで、旧約聖書にも、乳の加工食品のようなものが登場しています(旧約聖書 創世 18:8「アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。」)。人が、乳製品(の製法)を発見し利用するようになった経緯は、それぞれの食品や地域によって様々かもしれませんが、乳製品というものを手に入れたことにより、人間の栄養事情はいくらかましなものになったのではないでしょうか。牛や羊は概して1回に1頭しか出産しないし、飼料が草だけの場合、牛は食べ頃の大きさに育つまで約5〜6年かかるとか。だとすれば、これら家畜をいきなり屠畜してその肉を食べるよりも、牛乳や乳製品を利用することの方が、より賢い選択の一つとなったことでしょう。乳そのものは腐り易いのですが、そこから作られた乳製品(例:バター、チーズ)は塩を加えたり、乾燥させることによってかなりの長期間保存が可能になります。栄養の点でも、たんぱく質や脂質の含有率は生乳よりも多いようです。中世ヨーロッパでは、「麦粥」に、これら乳製品を加えて一緒に食べることによって栄養価を補い、なんとか飢えをしのぐことも多かったようです。
 世界各地には、様々な製法で作られ、様々な特徴をもつ伝統的乳製品があり、古くから利用されています。一口に乳製品といっても、脂肪分を分離し攪拌して凝縮させるもの、乳を醗酵させるヨーグルト的なもの(またはこれを原料にして作るもの)、煮詰めて凝縮させて作るもの、食べる物や飲む物(アルコール飲料含む)など、様々な製法のものがあり、製法や原料乳の違いによって、様々な味や特徴をもっています。もちろん、今日でもおなじみのバターやチーズ、ヨーグルトも、その乳製品の一つです。現代の西洋〜日本社会などでは、バター、チーズ、ヨーグルトと、それぞれ名前を使い分けてこそいますが、世界中にある乳加工品を見ると、バターとチーズの中間のようなものや、ヨーグルトとバターの中間的なものなど、明確な線引きによって分類できないものも、数多くあるようです。お話しするにあたり、バター、チーズ、ヨーグルトと、あえて分類することは、実は無意味なのかもしれません。それほどに、世界には、様々な乳加工品の形態があるということです。とは言え、このページをご覧になるみなさんに(私もそうですが)、最も馴染み深い乳加工品といえば、この3大分類が挙げられるのは間違いないでしょうから、ここではあえて「チーズ」、「バター」及び「ヨーグルト」を代表的な乳加工食品として挙げ、お話ししましょー。


チーズ (2005/04/25月現在、加筆作業中)
 ヨーロッパには「チーズがなければ消化不良になる」との古い言葉(どこの国の諺か不明)があるらしく、この言葉を見ても、当時のヨーロッパ人にとって乳製品がどんなに大事なものであったかがわかります。
 ファンタジーでもチーズ類は欠かせませんね。地方のそこそこ豊かな村のもめごとを解決したパーティが、農家に招かれて黒パンとチーズで素朴ながらも心のこもったもてなしを受ける…そんなシーンがとても好きです。実際に身近な食べ物であるため、プレイヤーもイメージしやすいのではないでしょうか。チーズ作りの盛んな地域なら、倉庫一杯のチーズをジャイアントラットを率いるワーラットから守る、やりようによってはそんなシナリオも面白いかもしれませんね(笑)。


バター
 「butter」という言葉は、ギリシャ語で凝固した乳を表したと思われる「boutyron」から来た言葉のだそうで、旧約聖書がヘブライ語からギリシャ語に翻訳された際、「凝乳」的な言葉が、同様の意味を持つと思われた「boutyron」に訳されたことから、やがて変化し、現代の「butter」になったようです。
 乳というものは、そのまま1日〜2日くらい置いておくと、上の方に乳脂肪(クリーム)が浮いてきます。このクリーム部分を、下に残った乳(スキムミルク)と分離して取り分け、取り分けたクリームを攪拌(チャーニング)すると、脂肪球が寄り集まってまとまっていき、バターが出来上がります。今日、近代工場で生産されているバターの製造工程は、これほど単純なものではありませんが、極端にいえば、これがバターの作り方です。古代においても、乳の表面に浮かび上がってくるクリームの濃厚な味わい、有用性は認められていたことでしょうから、このクリームを動物内臓製の水筒などに入れ、旅の携帯食料として持ち歩かれていた可能性もあることでしょう。そうすれば、やはり水筒の中で攪拌され、チャーニングの工程を経たのと同様となり、バターができたかもしれません。
 紀元前5世紀、ギリシャのヘロドトスが書いた文献には、黒海北部辺りの地方の話として、「牝馬の乳を木桶に入れて攪拌し、浮かび上がってきた美味なるものを利用する」旨の記述があるようです。この記述では、クリーム分離とチャーニングが同時進行で行われているようですが、様々な時代、世界各地では、画一的ではなく、様々な加工方法(工程)でバター作りが行われていたことでしょう。
 実際のところ、世界各地には、一般的な「バター」の定義とは微妙に適合する乳加工品、逆に、バターとは微妙に違う「バター的な乳加工品」もあります。バターという言葉は、乳脂肪をより集めて作った乳加工食品の総称のように用いた方が良いのかもしれません。ファンタジー世界にも、チャーニングしただけのようなバターや、脱水したもの、塩等を加えたものや、醗酵させたものなど、現実世界と同様に、様々なバターが存在している可能性はあります。バター的なものではあっても、ヨーグルトに近いもの、チーズに近いものもきっとあることでしょう。
 さて、話はギリシャの時代に戻ります。紀元前5世紀くらいには、ギリシャにも小アジアの方からバターの製法は伝わっていたものの、食用にはせず、もっぱら塗り薬的な使われ方をしていました。ギリシャでは、蜂蜜と混ぜて歯痛止めの薬として用いられたり、ローマでは、子供の体を柔軟にするための塗り薬にしたりと、まさに外用薬としての用法があったことが知られています。また、ホメロスの「オデュッセイア」などでも記されているように、古代ギリシャなどでは、温水浴や水浴など、入浴の後に、身体に油(多くはオリーブオイルなど)を塗る習慣があり、バターも同様に、身体に塗る薬(オイントメント)として用いられていました。
 バターを身体に塗るという用法は、意外に思えるかもしれませんね。しかし、1日の最高〜最低の気温差が高く、肌寒いことがあるとはいっても、年間通して比較的温暖なギリシャなどでは、バターは固形状の塊ではなく、トロトロに溶けた状態であることの方が普通だったのかもしれません(昔のギリシャの平均気温は詳しく知りませんが)。このように、暑い地方などでは、バターのイメージは「塊」ではなく、「トロトロ」なものだった可能性もあるでしょうから、私たちが普通に思う用法、イメージが通用しない可能性もありますね。
 ギリシャやローマでは、最初は食用にされていなかったバターでしたが(ローマでは、バターは野蛮人の食べ物と考えられていたとか)、やがて習慣の多様化というか、美味しいものは食うべしというか、やはりバターは食用利用されるようになっていきます。ヨーロッパにも広まり、ポルトガル辺りでは紀元60年頃、ガリア人は紀元300年くらいにバターを食べるようになってきました。広まるにしたがって、下層階級だけでなく、上流階級の人々にも食べられるようになり、フランスでは、6世紀くらいにようやく上流階級の人々にも食べられるようになりました。バターの食用とおなじく、バターも製法もヨーロッパには広まっていき、12〜13世紀頃には、ようやくベルギーなどでも、盛んに生産されるようになっていたようです(工場生産されるようになるのは、もっと後のことですが)。


ヨーグルト
 ヨーグルトの起源は、遊牧民族が乳を入れた革袋を持って遊牧移動中、乳酸菌によって自然発酵したのがその始まりともいわれていますが、別の説によると、600年前のエジプトで、飲み残した乳に偶然に菌が入り込んで発酵し、それを発見した古代エジプト人が飲んだのが起源であるともいわれています。現在では、ヨーグルトとは、主に牛乳に乳酸菌(ビフィズス菌、ブルガリア菌、アシドフィルス菌、サーモフィルス菌、ヤクルト菌など)を入れて発酵させた乳製品のことを差します。現在のようなヨーグルトの発祥地は、トルコともいわれており、「ヨーグルト」という言葉は、トルコ語の「yogurt(ヨーウルト)」という言葉が語源になっているとされています。ヨーロッパへは、オスマン帝国の勢力の拡大や、交易、文化流入等に伴って、伝来していったようです。
 昔は冷蔵庫なんてなく、乳を搾っても保存がききませんでしたから、トルコなどでは乳酸醗酵させ、ヨーグルト状にして保存していたといいます(それでもたいして長期保存はできませんが)。また、乳遊牧民だったトルコ民族は、牛や羊の乳を醗酵させ、ヨーグルトのようなものを作った後、これをさらに加工し、バターやチーズのようなものを作り出していたそうです。
 今日では、ヨーグルトといえば、ブルガリアが有名です。ブルガリアもまた、オスマントルコ帝国の猛威にさらされ、影響を受けた国であり、ヨーグルトもまた、オスマントルコが残した食材といえますね。現在、ブルガリアの家庭では、普通に自家製ヨーグルトが作られていますが、自家製ヨーグルトを作るときには、全て食べてしまわずに少し残しておいて、次のヨーグルトを作る際に、その原料乳の中に、残りのヨーグルトを混ぜこみます。これにより、原料乳に加えた「残りのヨーグルト」が乳酸醗酵のスターターとなり、ヨーグルトが出来るわけです。
 現在では、ヨーグルトの中に含まれているビフィズス菌などには、抗がん効果、免疫力増強、血圧低下、コレステロール低減などの効果が期待できるという事がわかっています。起源の説はともかく、その発見以来、ヨーグルトは乳文化圏では欠かすことのできない優れた栄養食品として伝えられてきたようですね。

 様々なオリジナルワールドなどでも、東欧諸国をモデルにした国や地方(もしくは畜産搾乳の盛んな村などで)、またそんな雰囲気を醸し出したい場合など、素朴なヨーグルトを食卓に登場させてみるのも新鮮でいいでしょう。でも、デザートとはいっても砂糖類は貴重品ですから、ヨーグルトに甘味をつけたければ、果物を混ぜ合わせるか、蜂蜜を入れるくらいしかないかもしれません。ベリー類を入れれば、甘酸っぱい素敵なフレーバーが楽しめるでしょう(ブルーベリーを入れると美味しいですよねw)。もてなしてくれる民家で、甘味の無い素朴なヨーグルトを出されるってのも、東欧のテイストで、なかなかいい感じですよね。ファンタジーでは、東欧風地方に限らず、気温があまり高くなく、ヨーグルトが日持ちする気候帯で、牧畜、搾乳の盛んな地方や村などでは、やはりヨーグルト作りが行われている可能性もあるでしょう。


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オリーブ、オリーブオイル (参考文献番号:16
 日本では昔はあまり一般的ではなかったものの、近年、比較的一般的になった食品の一つにオリーブ油、オリーブオイルがあります。イタリア料理のブームに伴う急速な普及もその使用が広まった要因の一つといえるのかもしれません。オリーブオイルは、オリーブの実を搾ってとった一種のフルーツジュースですが、最近はこのオリーブオイルに含まれるオレイン酸が健康に良いということでその消費量も増えているようです。このオレイン酸は、悪玉コレステロールのみを低下させる働きをもちます(リノール酸は悪玉、善玉両方のコレステロールを下げるとか)。またオリーブオイルは内蔵機能を高める働きをもち、さらにみずみずしい肌を保つ効果もあるらしいので美しい肌を作るといわれています。
 オリーブは5000年以上もの昔から地中海沿岸地域にあり、パレスチナ地方で盛んに栽培されましたが、相当の昔からオリーブオイルの優れた「効能」は知られていたようです。大昔は、入浴後に身体に塗ったり、皮膚のシワとりなどに使われていたようですが、やがて食用にも使われるようになりました。
 2000年もの昔、古代ローマでは既に食用としてふんだんに使われ、やがてそれはルネッサンスの時代になるとメディチ家のカトリーヌがフランスへ嫁いだ際に伝えられることになります。イタリア料理は西洋料理の源流ともいわれる所以です。
 現代のオリーブの主産地(全世界の約90%とか)は、やはり地中海沿岸地域です。イタリアではほぼ全国的に栽培されていますが、イタリアは南北に長いため、各地で栽培されるオリーブには各地の個性があり、また品種も多くあります(約150種類)。現代では、果実食用のオリーブ品種、オイルを摂るための搾油用品種などもあるようです。
 今日ではオリーブから「オリーブオイル」を摂る方法には、圧搾法や遠心分離法などがありますが、昔ながらの方法はやはり手作りの木製器具による圧搾法のようです。結局はオリーブの果実部に含まれている油分を他の水分と分離して取り出すのですが、方法によって味にたいして差が出るというわけではないようです。ちなみに資料文献によると、現代では約100kgのオリーブの実から約20kgのオリーブオイルが摂れるそうです。
 料理でのオリーブオイルの使い方は様々で、ドレッシングのようにオリーブオイルで和える場合、オリーブオイルを調理油として鍋などに引く場合、また揚げ物を使う際に使うなどいろいろあります。「無骨」かつ「素朴」な中世ヨーロッパ風ファンタジーにはオリーブオイルはマッチしないのかもしれませんが、多少なりともルネッサンス期的な華やかな文化をもつ世界や国であるなら、オリーブオイルが豊富に使われていても特に不思議はないような気がします。そもそもオリーブオイルの歴史は結構古いものですし、背景世界や歴史の設定次第では何の不思議もなく日常的に使われる食品になりえます。ちなみに私のオリジナル世界の主たる冒険の舞台となっている国は、今の民族文化が侵入してくる前の土着の文化は幾分古代ギリシャ的なものだったという設定になっているので、イメージ的にオリーブオイルは、それほど珍しいものではないものになっています。ただしこれは前の文化の香りを残す人々の集落や酒場などでの話で、「新」文化を担う人々にはそれほど縁は深くないものになっています。
 南の海に面した暖かな海岸沿いの丘陵地帯に立ち並ぶオリーブの樹々…そんな地中海的なファンタジーも悪くありませんよ。


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紅茶、茶 (参考文献番号:141521
茶葉の銘柄、産地は不明 茶の栽培の歴史は、4世紀の中国にまで遡ります。古い歴史の国、中国ではそれ以降、多くの人々に茶が飲まれていたようで、日本にも8世紀くらいには伝わっていたようです。ヨーロッパへは16世紀にごく小量ながら入ってきていたようですが、最初は胃腸薬や痛風の薬など、薬としてのものだったようです。ヨーロッパへ本格的に持ち込まれたのは、17世紀オランダ人によります。オランダ人は茶を飲む文化を最初に取り入れたヨーロッパ人でした。しかし中国からの「茶」の導入は、ヨーロッパへ輸入し交易するための商品としての導入でもありました。今日、紅茶といえばイギリスですが、イギリスには17世紀の半ば頃にやはりオランダから持ち込まれ、飲まれるようになりました(コーヒーが飲まれるようになったのもだいたいこの頃です)。やがて茶の交易に目を付けたイギリスは有名な東インド会社を作り、茶貿易に参入しました。当時はまだ中国が唯一の茶の生産地国だったので、貿易船は東大西洋を南下して喜望峰を越え、インド洋を渡り中国の広東や福建辺りへ辿り着いて茶を仕入れ、またはるばる海路を戻ってくるという、短くても半年はかかる旅が繰り返されていました。ちなみに当時ヨーロッパで飲まれていたお茶は、今の紅茶のような完全発酵のものではなく、半発酵茶や緑茶であったようです。まあ確かなのは、当時ヨーロッパで飲まれていた茶はあまり品質の良くないものであったろうということです。摘みたてが美味しいとされたりする茶ですが、なにせ海路はるばる半年もかけて運ばれていたんですからね。
 17〜18世紀には茶の生産地はまだ中国だけで、さらに長い時間をかけて遠くから運んでいたため、またさらに高い税金がかけられていたこともあり、茶は高級品でありました。貴族など裕福な人たちは飲むことができても、一般大衆にはまだ手の届かないものだったみたいです。やがて18世紀になると多少は輸入量も増えたようですが、供給は需要を下回ったままでした。まだ希少価値もありましたから、高い税金がかかるとはいっても商人たちにとってはいい商品だったことでしょう。ただ、いつの世にも悪い奴はいるようで、商人の中には密輸入を行い、課税を逃れながら茶を売りさばく者が現れました。さらに彼らはついでに密輸した茶葉の中にトネリコとかヤナギの葉を混ぜて売るようになり、さらに利益を上げるようになりました。これでは消費者はたまったもんではありません。さぞかし不味いお茶だったことでしょう。こんな不味い茶を飲んでいたイギリスの一般市民は、その不味さをごまかすために、ミルクや砂糖を入れて飲むようになったという話もあるくらいです(この頃、砂糖はイギリスへたくさん持ち込まれていました)。イギリスでの紅茶といえばミルクティーというイメージですが、このエピソードはそのミルクティーの始まりと普及の理由とされる「説」の一つです。ちなみにイギリスでミルクティーが飲まれるようになるよりも前から、オランダではミルクティーが飲まれていたという話もあり、ヨーロッパでのミルクティーの始まりと普及についての真相は定かではないようです。

 遠距離を運ばれてくる茶は、18世紀にはどんなに早くても「半年」がかりで運ばれていましたが、19世紀中頃、造船技術の進歩にともない船足の速い船が造られるようになると、この期間は短縮されることになります。紅茶輸送専用の快速船「ティークリッパー」の登場です。ティークリッパーの登場により、中国〜ロンドン間が80〜90日間くらいで結ばれるようになり、また東インド会社の独占権廃止もあって、イギリスの商人たちは(以前に比べて)新鮮な茶葉を買うことができるようになりました。やがてより早く届けられた茶葉にはプレミアが付くようにもなり、早さの競争にもなりました。ちなみにお酒などの名前で有名な「カティ・サーク」は、「海の女王」の別名をもつ、当時最速を誇ったティークリッパーの名前で、最高速度17ノットの記録を残しています。
 19世紀の前半になると、中国の他に、スリランカ(セイロン)やインドのアッサム地方などにも茶の産地が広がり、より高品質の完全発酵茶が「より短い時間で」輸入されるようになりました。ちなみにインドでは、後に、ダージリン地方、ニルギリ地方でも茶が栽培されるようになります。
 D&D(R)の公式世界ガイドであるGAZETTERの中には、海洋貿易で成り立っている海洋国家が登場しますが、その国を解説したGAZETTEERには、船の種類のバリエーションとして「快速船(clipper)」が登場しています。このタイプの船舶は、データ的に見ると普通の帆船よりも積載量こそ劣りますが、そのスピード「船足」はより速く設定されています。やはり「ティークリッパー」をモデルにしてデザインされたのだと思います。ちなみに、同じGAZETTEERには、商品としての「積み荷」として「Tea or coffee」の記述もあります。この記述によると、「茶葉」または「コーヒー豆」は麻袋のようなもの(bag)に入れて取り引きされ、1袋(荷重500cn)が基準価格として金貨75枚ほどで取り引きされるようです。現実世界では、クリッパーの登場は19世紀のことですが、D&D(R)世界では既に存在しています。つまりイマジネーションをかき立てるであろう要素は史実に関わらず採用されているわけで、実際にオリジナルワールドなどにも深く気にせずに採用・導入しても、別におかしなところはないということでしょうね。実際、お金に余裕のある者であれば、酒場などで飲むことができるとして構わないのではないでしょうか。私はそれでいいと思いますよ。

『紅茶の習慣』
 紅茶の国イギリスの貴族宮廷社会に紅茶を飲む習慣をもたらしたのは、17世紀にポルトガルから後のイギリス国王のもとに嫁いできたキャサリンという女性だという説があります。政略結婚で遠い国から嫁いで来たのに、夫は好色で浮気者。故郷から遠く離れた地で一人その憂いを紛らわすため、彼女はよく紅茶を飲んでいたそうです。彼女のもとを訪れた客は、紅茶でもてなされたそうで、こうしてイギリス貴族社会に紅茶を飲む習慣が広まっていったのだそうです。
 17世紀の半ばには「コーヒーハウス」というタイプの飲食店が作られるようになり、これが大衆への茶の普及に多少なりとも貢献することになりますが、相変わらず価格は安いとは言えず、まだ収入に余裕のある人達だけの飲み物だったようです。コーヒーと紅茶はイギリスではだいたい同じ頃に飲まれるようになり、このコーヒーハウスでは、紅茶にコーヒー、チョコレートや酒類が出されていました。ちなみにこの店は女人禁制(理由は不明)で、入店が1ペニー(当時の通貨価値は不明ですが)、コーヒーや紅茶も1杯1ペニーだったそうです。ちなみにこの頃、コーヒーハウスなどで飲まれていたのは、先にも述べましたが半発酵茶だったそうですが、実際には一般的には当時は発酵茶よりも緑茶の方が倍以上も多く飲まれていたようです。

『紅茶とコーヒー』
 18世紀にはイギリス全土で紅茶が飲まれるようになっていましたが、イギリスからの移民の多かったアメリカでも紅茶は飲まれていました。しかしやがてイギリス本国は、アメリカで紅茶にとても高い税金(100%くらいだったとか!)を課けるようになりました。移民達はこの政策に猛反発し、アメリカ独立運動の数々の要因の1つにもなりました。やがて「アメリカ人」たちは紅茶にミルクを入れないことで「本国」への反発を表すようになり、さらには紅茶ではなくコーヒーを飲むようになっていきました。こうしてアメリカではコーヒーが主流派となり、紅茶が少数派へとなっていきました。

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コーヒー (参考文献番号:21
銘柄「ブラジル」 コーヒーは「コーヒーノキ(以下「コーヒー」)」の種子から生み出される、今日では世界で広く飲まれている飲み物です。コーヒーは主にエチオピアのモザンビーク地方を原産とする常緑性低木で、1cmほどの大きさの楕円形の実がなり、各実の中には薄い果肉に包まれて2個の大きな種子が入っています。これがあのコーヒー豆です。熱帯性植物ですが、やや標高の高い涼しい場所での栽培に適しているそうです。
 今から1000年以上もの昔、コーヒーは人間に発見され、今や商業的にも貴重な植物となっています。大昔、アラビアの羊飼いの少年が、羊がコーヒーの葉を食べるのを見て、自分も食べてみたところ、たちまち眠気が吹っ飛んで元気が出た、という伝説のような話が伝わっているらしく、これがコーヒーの歴史の始まりだという説もあります。ただし、このコーヒー発見に関する伝説は、国や社会、キリスト教圏、イスラム教圏によっても様々な内容で伝わっているらしく、実際のところは定かではありません。そもそも、これらの伝説が語られるようになるよりも前に、既にコーヒーが利用されてたとかいう話もあるらしく、実際のところはよくわからないみたいです。コーヒー(coffee)という言葉の由来も、エチオピアの南部にあるコーヒー産地「カファ(Kaffa)」が変化したものだ、とか、飲酒を禁じられているアラビアの人々が新しい飲み物としてコーヒーを葡萄酒と同じ名前「カーフワ(Qarwa)」と呼んだことが始まりだとかこれも複数の説が伝えられているようです。
銘柄「ブルーマウンテン」(生豆) コーヒーは発見された時から飲用されていたわけではないようです。最初は赤い実を生のままや茹でて食べてみたり、煮込んでスープの具にしたり、実を潰してペースト状の食べ物にしたりといろいろな食べ方もされていたみたいです。煮出したり、スープにしたものを飲用してたようですが、今日のいわゆる「コーヒー」とはぜんぜん違うようですね。ちなみに実を発酵させて果実酒を作ることもあったみたいですが、あんまりいい酒ができなかったのか、あまり普及しなかったようです。
 11〜12世紀頃になると、アラビア世界ではコーヒーがもつ効用(植物性アルカロイドの1種カフェインによる新陳代謝の活発化、興奮・強心作用、消化促進、利尿作用など)が既にいくらか知られ、薬用として飲まれたりしていました。やがて「コーヒーの汁」を飲む風習はイスラム諸国に伝わっていきます。この頃までの「コーヒー」は黄色っぽくて青臭い、単なるコーヒーの煮汁的なものでした。しかし15〜16世紀になると、コーヒー豆を火で煎る(焙煎)という方法が行われるようになります。この画期的な「焙煎」という方法により、「コーヒーの煮汁」は美しい琥珀色と芳しい芳香をもつ新たな飲み物へと生まれ変わります。この時期になると、コーヒーは閉鎖的なイスラム寺院から流出し、イスラム庶民の間にも広まり、コーヒーを飲ませる露店なども見られるようになったようです。
焙煎が始まった頃のコーヒーは、焙煎した豆の砕いた粉をポットに入れ、そこに水を入れて熱を加えて作るものだったようです。トルコ式と言われるこの方法で作られたコーヒーは、カップに注いでも粉が混じっていますから、粉の沈澱を待って少しずつ飲んだようです。砂糖なんかを入れることもあったみたいですね。18世紀になると,ヨーロッパでは綿などの織物のフィルターでコーヒーを濾過する方法が発明され、今のコーヒーに近いものが現れました。抽出の際に蒸気圧を使う「サイフォン式」が発明されたのは19世紀になってからです。
 ヨーロッパでは、16世紀半ばの1554年に、イスタンブールに最初のコーヒーの店が登場し、その後17世紀の中頃までかけて、イタリアやフランス、オランダやイギリスなどヨーロッパ諸国へコーヒーは伝っていきます。英語で「coffee」という語が使われるようになったのはこの頃からであるようです。す コーヒーは主たる消費民によってアラビアに移植されて栽培されるようになっていましたが、最初はその商業的価値から、外国への持ち出しが厳しく制限されていました。しかしやがてコーヒーの種はインドへ流出してしまいます。さらに17世紀の初め頃になるとオランダ人がコーヒーに着目するようになり、各地で商業用の栽培を開始します。やがて他の国もコーヒーに目をつけ、この頃から植民地では栽培が始められるようになっていきます。

 イメージ的に有名なのは、アラビア風の国の人が、客人をもてなすために、皆でコーヒーを飲むという習慣などでしょう。ファンタジー世界でも、同様のイメージをもつ国や地方が存在しているところなら、この情景は見られるかもしれません。D&D(R)のオフィシャルワールドでは、同様のタイプの国としてイラルアム首長国連邦が知られており、私のオリジナルワールドの中にも、このイラルアム首長国連邦をモデルとした国があります。
 大きな力をもつ国の辺境や、属国などでは、商業目的でコーヒーの大農園が作られているかもしれません。この農園の警備や、商業輸送の護衛など、冒険者が関わるシチュエーションは結構あるかもしれませんね。


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砂糖 (参考文献番号:
 中世の世界では、砂糖もまた貴重品の一つでした。気候の関係でサトウキビが栽培できないため砂糖は輸入に頼っており、その価値はスパイスと同様に高価なものでした。事実、この頃は、砂糖はスパイスの一種として考えられていました。18世紀になると、ようやくビート(甜菜)から砂糖をとる技術が発明されましたが、それでも、砂糖の供給量は豊富とはいえず、その値段も決して安いものではありませんでした。中世〜18世紀までは、砂糖を使った菓子などは、王侯貴族や聖職者など、豊かな富をもつ者たちの口にしか入らないものだったでしょうね。ただファンタジー世界では、冒険者は結構お金を持っていたりするので、彼らはそんな贅沢なお菓子も口にすることができたでしょう。砂糖は贅沢品です。これが、生きていくために最低限必要な塩などとは異なるところでしょう(糖分そのものは必ず必要ですが)。甘い食べ物は人を魅了するものです。もしかしたら、甘いお菓子などは、貧しい人にとって最高の贅沢なのかもしれません。ある意味、お菓子の家なんて、究極の夢かもしれませんね(笑)。
 ちなみに保存食の一形態として砂糖漬けというものがあります。これは一定の濃度以上の濃い砂糖水の中では雑菌等が生存できない(塩漬けも同様です)という事を利用したものです。まあ味覚的な向き不向きというものがあるせいか、果物の砂糖漬けが多いような気がしますけど。ちなみにジャムも似たようなものですね。
 中世風ファンタジーでは、砂糖はそれなりに貴重なものでしょう。ただ、ビートの栽培が盛んな地方では、少し状況は異なるかもしれません。実際の中世では、高価な砂糖の代わりに蜂蜜を用いたことが多かったようです。


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砂糖楓(さとうかえで、メイプル) (参考文献番号:
 北アメリカ原産の40mもの高さに育つ広葉樹。幹の下方に穴を開け、そこから染みだした樹液を集めて煮詰め、豊かな香りと甘味をもつ濃いシロップを作ります(これがあのメイプルシロップですね)。また砂糖(楓糖、メープルシュガー)も作り出すことができるでしょう。メイプルといえばカナダですが、実際、カナダの国旗にもなってますのでご存じの方も多いのではないでしょうか。ヨーロッパ人による発見は、当然ながら新大陸の発見後でしょう。実際にヨーロッパに伝わり、用いられたりするようになるのは、それよりもっと後、だいぶ経ってからのことだと思います。もしもその辺を気にせず、ファンタジー世界で、この樹液からのシロップ作りというアイデアを取り入れるなら、このシロップを特産とする街なども作ることができるでしょう。また、そのファンタジー世界における、砂糖や甘味料についての考え方、取引価格に変化がもたらされる事でしょう。
 シナリオに使うなら、砂糖楓の木に集まるジャアントビートルを追い払う、なんていう仕事の依頼なんかもいいかもしれませんね。


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 (参考文献番号:2634
 地球の表面積の約70%を占める海。その海水には約3%の塩が含まれています。地球の長い歴史の中で塩は海水、塩の湖、地下の塩水、そして岩塩など、様々な形態に姿形を変え、様々な場所に存在しています。人が生きていくには塩は空気や水と同様に必要不可欠なものです。生物の体内には一定の割合で塩分が含まれており、体内の水分量の調整など、重要な役目を果たしているそうです。この様に生きていくために欠かせない塩を、昔から人々は様々な方法で手に入れてきました。
 今日、世界では年間約1億8000万トンの塩が生産されているそうですが、そのうち海水からつくられる塩は約1/4〜1/3で、あとは岩塩や塩湖などの塩資源から得られているそうです。実は海水からの製塩って少数派だったんですね。
 塩の獲得法として最もポピュラーなものが岩塩の採掘です。岩塩は、太古の昔に地中に閉じ込められた海水の塩分など成分のみが残ったもので、最も一般的な塩資源といえます。現代の主な岩塩の生産地はイギリスのチェシャー地方、ポーランドのベリチカなど多くの国々にあります.中でもイギリスのチェシャー地方は、近世(18〜19世紀)にかけての岩塩生産の世界的中心地でした。地下深くに埋蔵されている岩塩は、他の宝石や鉱物の採掘のように坑道を掘り、そこでの作業によって掘り出すことになります。比較的地上に近い辺りに岩塩がある場合は、露天掘りの形態で採掘されることになるでしょう。
 岩塩以外の塩資源といえば、塩湖というものがあります。これはいわゆる塩水の湖で、日差しの強い、乾燥した地方にある場合、水分がどんどん蒸発するため、塩が結晶となって湖面や湖岸に多量に残ることになり、それを採取して利用することができます。
 また主に地下の塩資源に恵まれていない地方で行なわれる、人為的に塩を作り出す方法としては、天日で海水を蒸発させ塩を取る製塩法などがあります(メキシコには東京23区とほぼ同じくらいの広さの塩田があります)。ただしこの方法は高温乾燥気候が最も適しており、日本では雨が多く湿度も決して低くないため、天日製塩法の他にも、海水からさらに濃い塩水を得て、それを煮詰めて行くという2工程をもつ製塩法が発達したようです。
 ちなみに、ヨーロッパでは塩は全て岩塩のみかと言えばそうでもありません。フランスのブルターニュ地方、ゲランドという町では、海水から塩を取る方法が盛んです。ここの入り江には、とても広くて平らな砂浜があって、四角い木の升のようなものが置かれ、大潮の日にだけ、ここに海水が引き込まれるそうです。引き込まれた海水は、次の大潮までの間に、天日乾燥され、料理によく合う塩が作られます。現在、この塩田は1800haもの広さがあり、年間約1万トンの塩が生産されているようです。この地方では海水塩は特産品で、露天などでは1袋1フランで売られているくらいありふれた物ですが、ヨーロッパ全体で見ると、海水塩をとっている地方は珍しいようです。

 話は戻りますが、日本での製塩は海水を原料とした塩田によるものだけだと思いがちですが、実はそれだけではありません。もう一つの塩資源、それが「塩井(えんせい)」です。日本、そして世界各地には、多数箇所とまではいえませんが、塩分を含んだ地下水が涌き出る場所があります。ある場所では冷泉であり、ある場所では温泉だったりします。これら塩の泉が湧く場所では、この塩水を原料にして塩(日本では「山塩」と呼ばれたりします)が精製されていることもありました。温度が高ければ、まさしく塩の温泉ですが、このような「塩湯」は皮膚病などに効能があり、入った後に体がポカポカと温まって湯冷めしにくいといいます。土地の人々は、この塩湯を料理に使ったり、漬物を漬けたりするそうです。

 さて、ファンタジー的な世界では、やはりメインは岩塩ということになりそうです。地下から掘り出すのですから、やはりドワーフとの関わりに着目せずにはいられません。もしかしたらドワーフ氏族によっては岩塩の埋蔵地を知っており、その優れた採掘技術で岩塩を掘りだし、人間と取り引きすることによって大きな利益を上げることができるかもしれません。岩塩も他の宝石や鉱物類と同様、ドワーフに縁の深いものになるでしょう。
 現実世界でも、岩塩を採掘した地下の空間に宮殿のような細工(壁の彫刻やシャンデリアも岩塩だとか!)を施した場所もあるっていう話ですから、ドワーフならなおの事、地下には岩塩でできた城のようなものまであるかもしれませんね。
 内陸地では岩塩がメインとなるでしょうが、前述のフランス、ブルターニュのゲランドのような海辺の町などでは、海水から塩を取る産業が盛んであってもいいでしょう。そんな町では、塩は比較的にありふれているでしょうから、特産品として買い求めることも可能でしょう。町には、塩を買い付けに来た商人が溢れ、塩で味付けをした独特の名物料理なんてものもありそうです。海辺の塩田を脅かす、海からやって来るモンスター退治の依頼もあるかもしれません。

 食品を塩漬けにして保存する方法は、紀元前3000年もの昔から行われていたとのことです。これは塩漬けにすることで食品から水分が吸い出され、また塩が食品に入り込み有害微生物を死滅させ、腐敗を防ぐものです。またそれらの食品の独特の風味付けにも、塩は重要な役割をもっています。塩分は濃度を調整することによって、微生物の繁殖をコントロールして発酵を調整することができます。そのため、チーズなどはこの働きによって、それぞれ独特の風味を出すことができます。麺類のシコシコとした弾力性や、パンのふっくらとした食感も塩を使うことによって得られます。
 ソーセージや他の肉料理、また肉料理に限らず様々な食品の調味、加工に塩は欠かせません。香辛料や砂糖などとは異なり、味付けの基本であり、また生体的に必要不可欠である塩は、ファンタジー、SFの世界を問わず、常に身近な食品といえるでしょう。ただし重要なものであるだけに、やはり価格が高くなってしまうこともあり、地方や情勢によっては深刻な問題ともなるでしょう。

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蒸留酒 (参考文献番号:1718
 現在、知られている蒸留酒には様々なものがありますが、蒸留とはどういうものでしょうか。蒸留酒の元となる醸造液にはエチルを主成分とするアルコールが含まれていますが、エチルアルコールは地上では約73℃で気化し、醸造液の主成分である水分は当然100℃で気化します。つまり醸造液を加熱することでエチルアルコールが蒸発し、その蒸気を冷やすことで元液よりも高い濃度のアルコール液が得られます。これが蒸留酒というものになります。
 後述しますが、蒸留技術はスペインで発見されたと言われています。この蒸留技術が海を渡ってアイルランドに伝わってビールからウイスキーが、さらにスコットランドではスコッチウイスキーが生まれます。技術はさらに各地に伝わり、北欧、ロシア、他にもアラブ地方や東南アジアでも同様の酒が作られるようになりました。やがて琉球でも「泡盛」(米から)、日本でも「焼酎」(米から)が生まれることになりました。

 意外なようですが、蒸留酒の誕生には「錬金術」というものが関係しています。中世初期(12〜13世紀?)のスペインで、ある医者が「生命と健康の水」たるエリクシルの研究に没頭し、その課程で生み出されたのが蒸留酒の最初であるともいわれています。この液体を口にすると、年老いた者でさえ元気を取り戻したとされます。これは錬金術用のなんらかの器具(坩堝やら蒸留器やら知りませんが)に何かの醸造液が入り、偶然にそれが蒸留されて強いアルコール液ができたのだと考えられます。この医者はこの液体「エリクシル」をラテン語で「生命の水」を意味する「アクア ヴィタエ(aqua vitae)」と名付けましたが、今もなお蒸留酒に類するものがこの名前から派生した名(フランス語では「オー ド ヴィー(eau de vie)」、北欧では「アクアヴィット(aquavit)」など)で呼ばれるところもあります。
 蒸留酒は「極端な言い方」をすれば、「醸造液を蒸留したもの」です。つまり(乱暴な言い方ですが)例えていうなら、ウイスキーは大麦の醸造液たるビールを蒸留したもの、ブランデーは葡萄の醸造液たるワインを蒸留したもの、ということになります。
 ちなみに余談ですが、蒸留酒を発見した彼ら医者や錬金術師たち(どちらも似たようなものですが)は、蒸留によってこのエリクシルの材料となった大麦や葡萄などの精霊を抽出することに成功したのだと考えたようです。今でも強いアルコール飲料、火酒などと言われるものを「スピリット」と言うことがありますが、これはこのためだという説もあります。
 ファンタジー世界で蒸留酒を登場させるのも悪くはありません。ただしビールのような醸造酒とは違い、蒸留にはある程度の科学的知識、施設(当然そのための多額の資金も)が必要です。そのため一般人の経営する蒸留所というものは存在しえないものでしょう。ファンタジー世界で蒸留酒を作れる者は、蒸留知識と必要な施設を用意できる者、すなわち魔法使い、錬金術師、またノーム(あるいはドワーフ)たちなどでしょう。特定のノーム氏族が作り出す強烈な蒸留酒を飲んで目を回す冒険者っていうのも面白いエピソードになるかもしれません。また魔法使いのギルドや協会が大型蒸留施設でウイスキーやブランデーを作り、その販売で副業的な収入を得ているというのも現実的で面白いかもしれません。場所によっては、統治者がそれら蒸留施設に税金をかけてたりして…。


ウイスキー
 琥珀色の命の水。ビールとは違う神秘の狂水。ウイスキーというものはそもそも原料となる穀類を発酵させ、それを蒸留させた後に樽で熟成させたお酒です。あの美しい琥珀色は、樽による熟成によって生まれるものです。原料は「穀物」と書きましたが、主なものは大麦麦芽、ライ麦、小麦、トウモロコシなどで、これら原料の使用割合などによって、同じウイスキーでも様々な名で呼ばれることになります。中世など、ウイスキーの初期のころには、原料の多くは大麦をはじめとする麦類、つまりビールの材料と同様のものが多かったようですが、やがて新大陸からトウモロコシがもたらされ、原料に使われるようになりました。イギリスなどでは、大麦麦芽(モルト)のみを使って作られたウイスキーはモルトウイスキーと呼ばれますし、トウモロコシ8:大麦麦芽2の割合で使ったものはグレーン・ウイスキーと呼ばれたりします。アメリカにはバーボン・ウイスキーというのもあります。
 中世初期にスペインの医者が見つけた蒸留法は各地に伝わりましたが、今でいうウイスキー作りは中世アイルランドで始まったようです。ラテン語で「生命の水(aqua vitae)」と名付けられたものはアイルランドに伝わり、ゲール語で「ウィスケ ベアタ(uisque beatha)」となり、それがやがて近代英語で「ウイスキー(whiskey)」となったようです。実際、アイルランドでは、それまで飲まれていたビールを蒸留してこの新しい強い酒が作られるようになりました。12世紀末にイングランド王ヘンリーII世が兵を引き連れアイルランドに渡った時には、そこでは既にウイスキーの原型的な蒸留酒が飲まれていたという事です。
 有名なスコッチウイスキーというのはイギリス北部のスコットランド地方で作られるものを言います。15世紀末のスコットランドの大蔵省にあたる役所の記録の中には「生命の水」の原料についての記述があるらしく、この頃には盛んにウイスキーが作られていたらしいことがわかります。ただしこの頃のウイスキーは琥珀色ではなく、熟成もされていなかったようで、現在のウイスキーのように樽で熟成され、琥珀色に色付いたものが登場したのは19世紀に入ってからのようです。
 アメリカにも前述したバーボンウイスキーなどがありますが、アメリカには17世紀頃にヨーロッパから蒸留技術が伝わり、ウイスキーが作られ始めました。最初はライ麦が原料でしたが、18世紀末くらいからはトウモロコシも使われるようになったようです。現在アメリカでは、原料穀物の51%以上ににトウモロコシを使い、「内側を焦がした樽」で熟成させたものをバーボンと呼びます。
 現在ウイスキーの特色ともいえる樽熟成による琥珀色の始まりは、スコッチウイスキーの確立と時を同じくしていました。政府によって厳しい課税を受けていたウイスキー蒸留業者たちは、役人の目から隠れて山野に隠れ、ウイスキーを密造するようになり、麦芽の乾燥作業のための燃料としてそこらにいくらでも埋もれていた「ピート(泥炭)」を使うようになりました。さらに密造したウイスキーは公然と売るわけにはいかず、買い手がつくまでの間は使わなくなったシェリー樽に入れて隠しておかれました。結果的に、ピートの煙はウイスキーの味に爽快さを与え、またシェリー樽での長期間の保存はウイスキーに美しい琥珀色を与え、同時に熟成によって味にまろやかさをももたらすことになったのです。
 スコットランドは北海道と同じくらいの広さですが、そこには数多くのウイスキー蒸留所、銘柄があります。いろいろな街や地方に地ビールというものがあるように、ウイスキーにも同じように様々な銘柄があります。
 ファンタジー世界でウイスキーが登場する場合、設定時代的に正しいのは色の付いていない無色ウイスキーなのかもしれませんが、想像力の所産たるファンタジー、TRPGにおいては琥珀色したウイスキーが昔からあったという事にしてもいいのではないでしょうか。琥珀色のウイスキーの方がプレイヤーにも感覚的にイメージしやすいでしょうし(笑)。


ブランデー
 ブランデーというのは、本来は葡萄を蒸留して作る酒のことを指す言葉だったようですが、今日では果実類(穀類ではなく)をその原料にして作られる蒸留酒を指す言葉として使われているようです。ここでは本来の意である「葡萄から作られた蒸留酒」の方のブランデーについて述べてみます。蒸留技術の発見と伝播については既に述べましたが、フランスでは葡萄が豊富に栽培され、また葡萄酒作りも盛んであったことから、当然のごとく葡萄を原料にした蒸留酒が作られはじめます。この蒸留酒作りは時代を経て盛んになり、17世紀後半頃からは既に商業的な蒸留が行なわれていたようです。フランス、コニャック地方では、豊富な葡萄から作られてたワインを蒸留し、それを「ヴァン・ブリュレ(Vin brule)」と呼んでいましたが、この言葉は「ワインを焼いたもの」という意味の言葉でした。やがてこのヴァン・ブリュレは貿易商人たちによって輸出されることになりましたが、この際、オランダの貿易商たちは「ヴァン・ブリュレ」をそのままオランダ語に訳して「ブランデウィイン(Brandewijin)」という名の商品として扱ったようで、輸出先であったイギリスではこの名前がやがて短縮変化し、ブランデー(Brandy)となりました。ただ本来の「生命の水」の意である「オー ド ヴィー(eau de vie)」も、フランスでは古くからブランデーをあらわす言葉として使われています。
 そもそものブランデー(及びその元となった言葉)とは、葡萄酒を蒸留した酒のことでしたが、実際には概ね二通りのタイプがあるようです。1つは文字通り葡萄酒を蒸留したもので、フランスの「コニャック」「アルマニャック」などに代表されるものなどはこれに当たります。また今日ドイツやイタリア、その他ヨーロッパやアメリカ、日本で製造されているものもこのタイプです。もう1つのタイプは葡萄酒を作るために搾汁した後の葡萄(つまり搾りカス)を発酵させ、それを蒸留したものです。フランスでは「オー・ド・ヴィー・ド・マール」などがこれにあたります。
 葡萄の品種によってその製品は様々ですが、フランス西南部で作られるコニャックなどは、その原料となる葡萄品種にも特色があります。その品種で作られる葡萄酒は酸味が強く、アルコール度数が低いものになるとか。このままでは葡萄酒としてはマイナス点になりそうなものですが、これが蒸留されブランデーになると、酸が芳香成分に変化し、またアルコール分の低さ故に多量の葡萄酒を使うために香り成分が凝縮され、芳醇な香りのブランデーになります。コニャックは原料の葡萄がとれた土地によっても区分されますが、なんといってもブレンドによって区分されていることが知られています。これは既に古い熟成されたコニャック(古酒)と熟成の浅い若い酒(原酒)がブレンドされていることによるもので、ブレンドに使われた「若い方の酒」の熟成年数によって、若い方から「☆☆☆」「VSOP」などと呼ばれ、さらに年数を重ねたものは「XO」「EXTRA」「NAPOLEON」などと呼ばれます。もう1つの有名どころ「アルマニャック」は南フランスはピレネー山脈付近の地方で作られ、コニャックに準じた基準によって「NAPOLEON」などの呼称が付けられます。ただ風土や細かな製法の違いによって、コニャックとはまた異なる味わいがあるといわれます。フランスで作られるブランデーでコニャック、アルマニャック以外のものは、「フレンチブランデー」と呼ばれ、熟成期間も短く風味も軽いタイプであるようです。ちなみに日本には、フレンチブランデーにコニャックやアルマニャックを幾らかブレンドしたものが結構輸入されているようですが、これらの場合、ラベルに「NAPOLEON」とか書いてあっても、主成分はそんなに古い酒ではないようです。
 これらタイプに関わらず、ブランデーは蒸留酒して作るものですから、当然そのままでは色はついておらず、無色透明なものです。琥珀色とも黄金色とも称されるあの神秘的な深い色は、ウイスキーなどと同様に、前述したとおり樽による長期熟成によって得られます。多くのブランデーはこの行程を経てあの琥珀色になりますが、葡萄以外の果実類を原料にした「広い意味でのブランデー」の中には、樽熟成を行なわず、無色透明なまま出荷されるものも多いそうです。

 蒸留酒としてはウイスキーよりも少数派のようなイメージはあるかもしれませんが、概してウイスキーとの差は原料の違いであり、その歴史の長さの差は蒸留技術の伝播の経路と順番によるものです。ですからファンタジーに蒸留酒があるとすれば、麦酒作りが盛んな地方にはウイスキーが、葡萄酒作りが盛んな地方ならブランデーがあっても構わないんではないでしょうか。ただし先の項でも述べたとおり、中世風ファンタジー世界では蒸留技術が一般民衆にとって身近な技術であったとは思えません。この技術を担うのはやはり錬金術師や魔術師、ノームやドワーフたちでしょうから、実際にこれら蒸留酒が作られるのは、原料となる麦酒、葡萄酒などが豊富に作られ、同時に魔法系技術者の関係者が多くいる街や地方、またはノーム氏族などと関わりの深い地方ということになるかもしれません。いずれにしても「蒸留酒」は「醸造酒」とは違って高級・高価なものになるでしょうから、成功した冒険者の密かな楽しみってやつにするのもアダルティでいいかも(笑)。


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ソース (参考文献番号:2022
 ソースといえばどんなものが想像されるでしょうか? ポピュラーなとこではウスターソース、ちょっと洒落てデミグラスソースとか。私は広島人なので、"お好みソース"とか"おたふくソース(これは商品名ですね)"とかがすぐに思い浮かびます。日本食で「ソース」といえば、その用途がだいぶ限られてしまいますが、西洋料理、それも中世ヨーロッパの宮廷料理などでは、料理においてソースは重要なアクセントでした。ソースに関係した食事マナーというものもあったようで、手で直接食べ物を持って食べていた時代には、「〜の指は〜のソースをつけるため、食べ物で汚れないように指を立てておけ」とかいうのもあったようです。現代、コーヒーなどを飲む時に、カップを持つ手の小指や薬指などを立てる人がいるのは(ヨーロッパ本来の話ですが)このマナーの名残であるとも言われます。
 中世の時代の料理書というものはいくらかが今でも残っているらしく、その内容も知られているようですが、それらの主な書物では「ソースの類」というものはレモン等の柑橘類や、まだ熟していない葡萄の搾り汁など、大概は「酸っぱいもの」を主な材料としていたようです。さらに作られたソースの中には相当な種類と量の香辛料が溶かしこまれ、混ぜられていました。ソースに使われた香辛料は、ジンジャー(生姜)、シナモン粉末、胡椒、ナツメグ、サフラン、ガーリック(にんにく)やパセリ、砂糖や蜂蜜などでした(砂糖も蜂蜜も当時は香辛料の一種として考えられてたんだそうです)。さらにそのソースには、しばしばパンや卵黄が混ぜられ、「とろみ」が付けられることもありました。今日では小麦粉を炒めて作る「ルー」(例:カレールーなど)というものがありますが、中世の時代にはまだ「ルー」は発明されてはいませんでした。香辛料をたっぷりと入れ、いろんな風味が混ざり合い(笑)、さらに酸っぱい液体。「とろみ」を付けた場合には、さらにこれに加えて"ふやけてどろどろになったパン"や卵黄が混ざった液体。これが中世の料理でいうところの「ソース」だったようです。なんか…すごそうですね(笑)。ちなみにソースの使い方そのものは、焼いた肉にかけたり、ソースの中に肉や魚を入れてみたり、というもので、今とそれほど違ってた訳でもないようです。
 今日でも残り、ソーセージなどに使われるマスタード(練りマスタード)は、「からし」をすり潰し、レモンや葡萄酒、酢などで練り、ものによってはニンニクや香草類、他の香辛料を加えたものですが、これぞまさに中世的な「ソース」の形です。今日の様なマスタードは、2〜300年前くらい前から作られるようになったもののようですが、中世料理的なソースの1つの例ではあります。

 さて、ソースに大量の香辛料が使われたことの理由としては、それが高価であり、庶民には真似ができなかったという事も上げられるようです。ソースなんてものを料理人に作らせて食べることができたのは、言うまでもなく豊かな財力をもつ王侯貴族たちくらいのものでしたから、高価すぎて庶民には使えないようなものをあえてふんだんに使うことで、物質的な富の差を感じ「自分たちは庶民とは違う」のだと思い知りたかったという一面があるのだとか。ただ、香辛料の使用の大きな理由は、やはりその風味付けや殺菌作用、消化促進の効能によるものだったのは確かだったようです。
 ものすごく偉大な手柄を立てた冒険者なら、宮廷や貴族の館に招かれ、食事に招待されることもあるかもしれません。そこでテーブルに並ぶ器の数々に満たされた、味わったこともないような刺激的な味のソースに驚く…。そんなこともありえるかもしれません。また多数の冒険者が存在する世界でなら、冒険者相手専門の「冒険者の宿」「冒険者の酒場」などもあるでしょう。そんな場所でなら「充分な金」を持ってる冒険者であれば、こんな手のこんだソースを使った料理を食べることができるかもしれません。大抵は使われる香辛料の量も少ない、いくらか手頃な値段のソースが多いでしょうけど…。


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