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 【食事回数】 【食事の道具】 【鍋】 【レストラン、食事処】UP!


食事回数 (参考文献番号:10
 現代、1日にとる食事の回数は、朝、昼、夜の3回が普通となっています。しかし昔はそうではありませんでした。ヨーロッパでは古代ギリシャの時代には3回の食事があったとのことですが、ローマ時代以降は1日の食事は昼食と夕食の2回になりました。基本的には朝食はないということでしたが、実際には、今で言うところの朝食にあたる時間帯や、夕方の少し前くらいの時間帯に、軽い食事をとることは多々あったようです。中世では、昼食と夕食の2回が理想的な食事の仕方とされていました。これには多少なりとも「(宗教的な)精神的節制」という意味もあったのかもしれません。中世には「一日に一度の食事は天使の生活、二度の食事は人間の生活、三度、四度、それ以上は動物の生活で人間の生活ではない」とかいう、説教臭い諺があったとか…。そもそも朝食を意味する「breakfast」という言葉は、「断食を止める」という意味だったようです。15世紀から16世紀くらいには1日3食というのが増え、定着してきました。ちなみに日本でもこのころから1日3食(それ以前はやはり2食)になってきました。
 お祝い事などを除き、通常の生活での1日の食事のうち、もっともボリュームのあったまともな食事「正餐」は昼食でした。朝食は、昼食よりも前にとる簡単な食事というところでしょうか。中世には「国王が朝食をとる国よ、汝災なるかな」とかいう格言のような言葉があったそうですが、15世紀のイギリス国王エドワード4世は朝食として、パンと肉の軽い食事をエールを飲みながら摂っていたようです。

 さて、ファンタジー世界ではどうでしょうか?やはり1日2食でしょうか?う〜むぅ(笑)。はっきり言って「ワールドによる」(笑)の一言で片付けたほうがいいのかもしれませんね(笑)。ちなみに「D&D(R)ルールサイクロペディア」(電撃ゲーム文庫)には、「携帯食」の説明に「1週間分の食糧は21食分だ」というような記述がありました。原典(英語版)が無いので確かなことは言えませんが、この記述がもしも正しいのなら、D&D(R)の公式ワールドの広い地域では、1日3食の習慣が普通であるとも考えられます…。さて…。
 話は変わりますが、よく「朝食を食べないと、学校での勉強や職場での仕事に頭が回らない」と言われています。これは「朝食」というものには、朝目覚めてから、まだ完全に活動状態になっていない身体を、消化器系をはじめとした体の内側から食事によって暖め、刺激を与えることによって速やかに身体を目覚めさせ、活動状態にもっていくという役目(効果)があるからです。また、脳は「糖分」をエネルギー源として活動するため、朝の食事で(様々な食物の形で)そのエネルギーを補給させておかないと、脳がエネルギー不足に陥り、その結果として頭の回転が鈍くなってしまう可能性が高くなります。脳に限らず、身体は眠っている間にも少しずつエネルギーを消費しているので、朝はエネルギーが不足してしまうのです。これらの理由から、現代では、ある意味朝食は最も大切な食事だと言われることもあります。さて、ファンタジーに話を戻しましょう。D&D(R)では、呪文を使うクラスは、魔法使い系なら呪文書を開き、また聖職者系なら瞑想して呪文を記憶します。冒険中の野営の際ならともかく、平常時、街中では、いつ呪文を覚えるのでしょうか。朝目覚めてすぐかもしれません。しかし、膨大なデータ量となる呪文を記憶するためには、脳を活発に働かせなくてはならないことでしょう。そのためにはやはり、充分な栄養分を摂取しておいた方がいいのでは…。とか思ったりするわけです。朝食を摂り、それによって脳に栄養を与え、また朝食をする間の時間にすこしでも身体全体を目覚めさせ、呪文の記憶を行なう…。これが「理屈」の上ではベストな感じがします。ただし冒険中に、やむなくダンジョン内などで一夜を明かした時などには、不意の敵襲に備えて一刻も早く呪文を記憶しなおした方がベターな気がしないでもないですが(笑)。以上、理屈の上でのお話でした(笑)。
 まあファンタジーRPGの多くは、あくまでも「中世ヨーロッパ風」ですから、本当に当時の生活様式だの慣習だのにギチギチにとらわれる必要はないと思います。このコーナーの記事自体、参考のための読み物ですから、史実にこだわらず、自由な発想のワールドを構築していただければ幸いです。1日4食の国や地域、ワールドがあってもなんの問題もないと思いますよ。なんせ「ファンタジー」ですから(笑)。

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食事の道具 (参考文献番号:1022
 中世フランスのシャルル大帝の食卓は組み立て式で、樫の木製の厚板の表面に、人が席につくのと同じくらいの間隔で「くぼみ」がついていたとか。なんでもこの厚板のくぼみを、食卓につく者各々は皿や鉢として使い、大皿からそのくぼみに料理を取り分けて食べていたのだそうです。ただしこれはあくまでも一例で、国や地域によって異なることでしょう。皿の代わりに平らなパン(「麦、パン」の項を参照)を使っていたところもあります。
 組み立て式のテーブルは、食事のたびに作業が必要で、もうもうと埃が舞いあがるという欠点がありましたが、食事する者たちがナイフなどでテーブルに傷をつけても、パーツを取り替えるだけでば綺麗になったという利点はあったようです。14〜18世紀になるとフランスでも固定式の食卓(現在のような)が表われ、だんだんと主流になっていきました。ただし固定式の木製の食卓の場合、ナイフなどによる傷がどんどん増えていき、たいへん見苦しくなってしまうという欠点もありました。そこでその傷などを覆い隠すための白リンネル製などのテーブルクロスが用いられるようになりました。しかしこのテーブルクロスの使用には、新しい問題も発生しました。食事中、汚れた手はそれまで自分の袖などで拭っていたようですが、テーブルクロスが使われはじめると皆これで手を拭くようになってしまったらしいのです(笑)。宴会などの食事中のテーブルクロスの汚れはそれはそれはひどいものだったことでしょうね。洗ったところでなかなか完全に綺麗にはならなかったでしょうから、ちょっと経済的によろしくないような気がします。やがて個人で使うために、白リンネルを小さく裁断した食事用のナプキンが考え出されました。テーブルクロスを交換するよりは随分と経済的ですね。

 16世紀にはスプーンやフォークは一応はあるにはあったらしいのですが、その使用が定着していたわけではないようです。道具ではなく手を使って食事をする「手食」の習慣は、実はヨーロッパでは18世紀に入る頃まで(人によってはもっと後まで)続いていたようです。
 「手食」では、肉にしても何にしても手で掴んで食べ、シチューの具でさえも手を突っ込んでかき回して食べていたようなので、当然のことながら、その手は汁やソース、脂などでドロドロに汚れたことでしょう。そのため、手食が普通だった時代には、食卓には水を入れた大きな器が置かれ、食事の最中でもお構いなしに「ばしゃばしゃ」と手を洗っていたようです。
 ヨーロッパ人がナイフとフォーク、スプーンの3種をセットにして食事に使うようになったのは比較的新しい時代になってからで、せいぜい18世紀以降だといわれています。


ナイフ
 ナイフは比較的に古い時代から使用されているようです。ただし、中世以前までは個人個人で使うのではなく、卓に置き、肉切り役が肉などを切り分けるために使われていたりしました。ちなみに食卓を囲む皆に肉を切り分けるのは主人(ホスト側)の役目で、誉れであるとされていましたが、大きな城や大人数のところでは、別に肉切り役の人がおり、その人が肉を切り分けたりしていました。とはいっても最初に肉にナイフを入れるのはやはり主人の役目である、とされていたところも多く、「主人がまず最初に肉にナイフを入れる」という行為が半ば儀式化していたりもしていました。
 ナイフというものは本来は刃物、つまり武器です。このため、ナイフの使用に関しては様々な禁止事項、マナーが作られていたようです。中世では、宴に招待された人は自分のスプーン、ナイフを持参したんだそうですが、招いた方が用意してくれることもあったそうです。こんな場合、用意されたナイフの数の関係で宴の参加者2人が1本のナイフを使ったりすることもですが、そんな時、人にナイフを渡す際には刃を自分の方に向けて持ち、柄の方を相手に向けて渡さすというのがマナーだったそうです。まあこれは今でも普通のマナーですけどね(笑)。ちなみに国によっては、ナイフを客に貸すのを嫌がったり、全然そうでなかったりと差があったようです。
 現代のナイフは全然「刃」がついておらず、代わりに肉を切るためのギザギザがついたものがほとんどですが、昔のナイフは当然ながら刃のついた「本物」のナイフでした。このため前述したとおり、様々なマナーが作られました。人を攻撃するつもりが無いことを示すために、通常のように手に握らずに指の間に挟みなさい、とか、ポテトや卵を切ってはいけない、とか、オレンジの皮はナイフではなくスプーンで剥け、とか、「なるほど」というものから「?」なものまで様々だったみたいです。
 17世紀にフランスの枢機卿、リシュリュー卿(おお!三銃士(笑))が「先端が鋭い、尖ったナイフ」の製造と販売を禁止したそうで、以降は今日のもののように先端の丸いナイフが作られるようになったそうです。大功績ですね(笑)。


フォーク
 そもそも、フォークは食卓で使うものではなく、料理人が台所なでで調理する際、肉などを突き刺して火の上で焼いたり、煮物をつついたりするために使う、長い二叉や三叉の道具だったそうですね(ただし現代、forkという言葉は二叉になっているという意味でも使われているようです)。
 ヨーロッパでは11世紀くらいフォークを使った食事が始まったという見方もあるようですが、これも実際には広い地域ではなく、イタリアの一部など、ほんの一部の地域で使われていたに過ぎなかったという見方であるようです。16世紀前期、メディチ家からカトリーヌがアンリ2世のもとへ嫁いだ際、持ち込んだ道具(嫁入り道具ですね)の中にフォークがあり、これがフランスへ持ち込まれた最初の「フォーク」だったそうです。またイギリスへは17世紀の頭に持ち込まれたとか。ちなみにイギリスへ初めてフォークを持ち込んだ人は、周囲の人から「熊手をもつ男」と言われ笑われたそうです。食事の際にフォークを使うという習慣は、11世紀から17世紀にかけてヨーロッパ各地へと少しずつ広がっていったようですね。
 フォークが完全に広まり、定着するまでの間、貴族や教皇など、裕福な身分の高い人たちの中には、金や銀、水晶でできた串などで食べ物を突き刺して食べていた人もいたようですが、これはごく少数だったみたいです。


スプーン
 大昔、スプーンという物が出現するまでは、食事などの際には貝殻などをスプーンとして使っていたのかもしれません。資料文献によると、スプーンの意であるフランス語の「cuiller」はラテン語の「cochlea」(カタツムリ)、ギリシャ語「kokhlos」(貝)などをその語源とするとのことです。貝殻などをスプーンとして使用していたという説に、思わず頷いてしまいますね。
 そもそもスープというものは、スプーンを使って飲むものではなく、パンを浸して食べるものだと考えられていたそうです。実際のところ、そのスープそのものが、肉や野菜の一杯入った具の多いごった煮のような、「具が多くで汁気の少ないもの」だったようで、確かに飲むものというよりは食べるものでした。実際、今でも欧米では、スープは「飲むもの」ではなく「食べるもの」と考えられています。現代のようなポタージュスープやコンソメスープなど、具が少なく汁の方が多いスープが一般化してきたのは19世紀になってからだそうです。それまではスープ=シチューのようなものだったということでしょうか。

 ファンタジー世界で、これらナイフやフォーク、スプーンが使われているかどうかという問題は、先の食事回数と同様、ワールドや地域によって多種多様なものでしょう。ちなみに個人的には、貴族や金持ち、洒落者などはスプーンやナイフは大抵使い、フォークを使う者もそこそこいるというくらいでいいかなぁとか。また一般の人々はフォークを使う者はほとんどいないがスプーンやナイフは大抵使う、貧しい者たちはナイフだけで食事したりスプーンを使わずに手で食べたりする者も結構いたりする…せいぜいこんな感じでいいかなぁとか思ったりします。ゲームの中まで、実際の中世のように「不衛生な」食卓にする必要もありませんしね(笑)。
 ちなみに数多くの魔法のアイテムを収録したD&D(R)公式アクセサリー「マーヴェラスマジック」には、魔法のスプーン、フォークが登場しています。魔法の品があるくらいですから、D&D(R)の世界ではこれらがある程度は普及しているとも思われます。なおこの魔法の「フォーク」ですが、食事用のフォークとは明記されておらず、農作業に使うフォークかも…とか思ったのですが、「フォークに攻撃された」(そんな魔法アイテムなのです)場合のダメージが「命中毎に1」だったので、食事用のフォークであろうと判断しました。
 冒険者の持ち歩く道具として、スプーンやフォークはともかく、ナイフ(小さめのダガーでも可)は必携ではないでしょうか。食事意外にも様々なことに使うこともあるでしょうし、食事の際にはナイフがあれば大変便利でしょう。食事の際のナイフの使用は結構基本に近い部分のようですから、冒険者は最低限ナイフを1本は持っているべきでしょうね(普通持ち歩いていると考えてもいいのかもしれません)。もちろんクレリックもですよ(笑)。そうそう、ドルイドはナイフの材質に気を付けましょう(笑)。


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 (参考文献番号:2225
 中世ヨーロッパに限らず、焼く、煮る、炒める、蒸すなど、つまり料理をする際には、調理用の器、すなわち「鍋」というものが当然使われていました(あまりにも当然ですね)。熱を加えるという用法のため、普通は金属製の鋳物や打ち出し物でした。鍋を火にかける際には、屋内ではそれように設えた炉辺で火を燃やしてその上に吊るしたり置いたり、後にレンガ等でオーブンが作られるようになると、鍋ごとその中に入れて熱しました。一方、野外では、焚き火を燃やし、その上に鍋を吊るすか、直接火の上に置くかして熱しました。
15世紀の青銅製調理用ポット 鍋を吊るす場合には、ひっかけるための部分、つまり「持ち手」が必要であり、火の上に直接置く場合には、火を圧消してしまわないように鍋を浮かせておく「脚」が必要でした。このため、鍋というものは、大抵は吊るしたり持ち運んだりするための「持ち手(取っ手)」か、火の上に置くため(逆にいえば鍋の下で火を燃やすために)底から生えた「脚」が付いていることも多かったようです。もちろん、その両方を備えた、持ち手付きで底に脚の生えた鍋も使われていました。
 中世ヨーロッパの民家では、炉辺がある家では、吊り下げ用の器具の有無、鍋の形等によって、鍋を火にかける方法が使い分けられていました。大きな屋敷や城の厨房は、民家のものよりも大きく、また実際に同時に大量に調理する必要もありました。このため、炉辺そのものも大きく、吊り下げ型、脚付き型を問わず、大きな鍋も使われていました。深さが1メートルもある大きな丸い鉄鍋の中に、木の筒や枠、布袋などにいれた様々な食材を入れ、一緒に茹でて同時に加熱調理するという方法も多く用いられました。
 貴族や騎士、兵士たち、また街を巡り歩く商人たちなどは、野外を長距離移動することも多く、野外で調理するための鍋を(調理係の者が)持ち運びました。それらは金属製(多くは鉄製)の鋳物の鍋で、野外にこしらえられた炉辺(多くは焚き火)の上に吊るされ、または置かれて、様々な料理に使われました。
 この鋳物の鍋は、実はほとんど同じような物を現代日本でも見ることができます。それは"ダッチオーブン"です。アウトドア好きな人ならご存知の方も多いかと思います。アメリカの西部開拓時代から、牛を連れて旅してまわるカウボーイたちによって使われていた…っていう説明が一般的かもしれませんが、このようなタイプの鉄鍋が使われていたのは、前述のとおり、西部開拓時代からというわけではありません。
 実際、コロンブスが新大陸にやってきた際(1492年)、やはり鉄鍋を持ってきていたようで、こういう鍋で揚げたドーナツの記録が残ってたりするそうです。このことから、少なくとも当時のヨーロッパではまだ鋳鉄製の鍋が使われていたということがわかります。この頃こんな鉄鍋は結構高価な家財道具だったそうで、新大陸へ渡った移民たちは、最初はなかなか買えなかったみたいですが、がんばって働いて他の家財道具とともに鉄鍋も買い揃えていきました。そんな中、このような鋳鉄製の鍋を熱心に売り歩いていたのが、オランダ人の商人たちだったので、アメリカではこの蓋付きの鋳鉄製の鍋のことを「ダッチオーブン」と呼ぶようになり、長い間、カウボーイに限らず、家庭でも愛用されました。
 「現代の一般的な」ダッチオーブンは、(パンを焼いたり)上下から加熱する必要がある場合、蓋の上に焼けた炭を載せたりするので、それが落ちないように蓋にせり上がった縁(フリンジ)が付いています。また、野外では焚き火をして燃えている木の上に置いて加熱したりするので、そんな場所に置き易いように短い3本の脚も生えています。キャンプダッチオーブンビーンポット(キッチンダッチオーブン)これらは、西部開拓時代以降、使われる間に改良され、進化した結果の変化といえるでしょう。ただ、新大陸に渡った頃のダッチオーブンは、これとはちょっと形が違っていました。当時のものは蓋の縁も、底なら生えた脚もなく、全体的に丸い形の鍋でした。この丸みを帯びた形が豆を連想させたのか、このタイプの鍋は「ビーンポット(bean=豆)」とも呼ばれました。
 野外で使うために進化したダッチオーブンですが、家庭で使う場合には蓋の縁や底の脚は必ずしも必要ではなく、時には邪魔になることもあるでしょう。このため、ビーンポットもまた、家庭内では使われ続け、やがて現代では、ビーンポットは「キッチンダッチオーブン」、蓋の縁と脚のあるものは「キャンプダッチオーブン」と呼ばれるようになりました。
 アメリカでも台所事情の進歩により状況が変わり、鉄の鍋はほとんど使われなくなりましたが、今でも多くの愛好家や、いわゆるカウボーイたちの間では、まだまだ愛用されています。愛用されているのには、理由があります。まずその蓄熱性の高さ。鍋そのものに熱が蓄えられ、それがゆっくりと放射されていくため、弱めの火であっても、しっかりと食材に火を通すことができます。そして密閉性。鉄鍋ですから、その「蓋」自体も結構な重量があり、鍋の中身をほぼ完全に密閉してくれます。また、内部の食材などから発生する蒸気が鍋本体と蓋との間で水となって留まり、その水によってさらに密閉性が高まるので、中から蒸気と一緒に旨味が逃げたりしません。さらに、使い込むことによって鍋は油が回って黒光りするようになり、油なしでも少々の調理はできるようになります。油無しで調理すれば、なおさら食材の旨味が逃げにくくなることでしょう。使い込んで黒光りするようになったものは、「ブラックポット」と呼ばれます。ダッチオーブンの愛好家たちの間では、このブラックポットは珍重され、親から子供へと引き継がれていきます。この鋳物の鍋は、それ一つで焼く、煮る、蒸す、炒める、揚げるなど、それはそれは様々な使い方ができます。また、その蓋をひっくり返して使えば、フライパンのように使うことできます。
 現代、アウトドアのブームもあり、それなりのショップに行けば、ダッチオーブンは置いてあります。アメリカのロッジ社製など、それなりの品質のものは、やはりそれなりのお値段ですが、買い求める愛好家の方々は結構いるみたいですね。

 思いっきり、ダッチオーブンの話に話題がそれてしまいましたが(笑)、ファンタジー世界ではどうでしょう。ファンタジー世界では、冒険者たちは世界を股にかけて旅をすることもあります。旅をするのは冒険者たちだけに限りません。商人や軍隊、騎士たちも(ある者は従者を連れて)旅はすることでしょう。そんな時、こんな鋳物の鍋も、他の装備類と一緒に持ち歩かれることでしょう。実際に、TRPGのプレイの中で、こんな事を描写、プレイすることなんてあまりないでしょう。でも想像してみましょう。1日旅した夜、木陰に野営場所を定め、焚き火を起こした後、火の上に鍋を吊るし、ソーセージを茹でたり、干し肉を放り込んでシチューを作ったり…。ささやかながら、手作りの夕食は、旅の疲れを幾分かは癒してくれそうな気がします。(ファンタジーに限りませんが)古い時代を舞台とした映画などでは、旅人が持ち物として鍋を持ち運び、野営で使っていたりする光景を見ることもあります。また、冒険者を形どったメタルフィギュアなどを見ると、その装備の中に「背負い袋からぶら下がった鍋」が再現されているものもあります。
 ファンタジーに登場するとすれば、その多くはビーンポット(キッチンダッチオーブン)的な形でしょう。実際には、脚がついた鍋も作られてはいたようですから、形のバリエーションもいろいろあるのでしょうね。実際に旅で持ち運ばれている鍋は大きさ、重さもいろいろかもしれませんが、それ一つで様々な料理ができる鍋は、きっと重宝され、使われていそうな気がします。もちろん、旅人だけでなく、定住し、家の中で調理する人たちにとっても、それは大事な家財道具であることでしょう。ファンタジー世界でこんな鉄鍋を買い求めるとしたら…。一般人には高価で、冒険者にとってはそれほど高くないお値段…。ダガー(短剣)と同じくらいのお値段くらいでいいのかもしれませんが、どうでしょう(例:D&D(R)ではダガーの標準価格は金貨3枚)。


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レストラン、食事処 (参考文献番号:1044) UP!
 現代、街には様々な飲食店が並んでいます。うどん屋、蕎麦屋、ラーメン屋、フランス料理にイタリア料理、高級料理店や居酒屋などなど、ジャンルもタイプも様々です。これらの店のように、店内に客を招き入れ、その客に様々な料理を食べさせる「料理専門店」はいつ頃からあったのでしょうか。一般民衆が美味しい料理を「外食」することができるようになったのは、比較的近世からなんだそうです。それ以前は、各国や地域の料理技術の「粋」というものは、民衆には縁の無いものでした。料理技術の「粋」、つまり最高の料理(そして料理人)があったところ…。それは王族や貴族、大金持ちや土地の支配者など、料理を専門に行なうことを業とする専属の料理人を雇っておくことができるほど金銭的に余裕のある人達の住居の厨房だけでした。少々の料理を食べさせる店くらいはあったでしょうが、特別贅沢な、また凝った料理を食べさせるような店は街にはありませんでした。もし例えある一般の人が何かによって大金を手に入れることができたとしても、その金で特別贅沢な高級料理を食べることは難しかったようです。その昔、プロの料理人というものが、貴族のお抱えとしてのみ存在していた頃には、彼ら料理人はギルドさえ作ることはなく、庶民がその料理に触れることは、あまりありませんでした(残り物の払い下げは貴重なチャンスだったことでしょう)。
 裕福な貴族たちの中には、大規模な宴席を設ける際または季節的な理由によって、料理人を短期で雇い入れることもあったようです。そんな場合、大宴会が終わったり、雇い主たる貴族が別の領地に移動することになった場合には、余剰の料理人たちは解雇されることとなりましたが、すぐに他の貴族等に雇われることとなりました。このような不安定な雇用情勢により、各地で料理人の交流や調理方法の普及が進んでいったようです。

 話は変わりますが、18世紀頃には、フランスでも、「ブルジョア(有産階級)家庭の女性向き」の料理書が出版されるようになりました。ここで密かなポイントは、女性向きということでしょう。それまで、トップの料理人の下で働く、下働き的な「料理女」は結構いたようですが、「料理人」としての女性はいなかった(少なくとも、決して多くはなかったようです)ようです。まあ、家庭をもつ女性たちが料理をしていなかったわけもないので、これはあくまでも、職業的な料理人としての女性の有無というお話ということでしょう。
 そんなこんなで、料理書が出版されるようになると、ブルジョア(有産階級)の女性達の間には、様々な料理が普及していったと考えられます。この後も、様々な料理書が出版され、それとともに、調理法や料理の普及も進んでいったことでしょう。

 さて、話は戻りますが、時代が下り、料理人たちが貴族のみのものではなくなり始めると、
専門的料理な料理も一般庶民に「(高級)料理」が知られるようにはなっていったようですが、やはり裕福な人々のみに限られ、本当の庶民たちには、やはり縁遠いままでした。資料によっては、時代が下った頃の料理人たちのギルド的な集まりについての記述があったり無かったりのようですが、組合があったとすれば、やはり一般庶民への料理の提供の妨げとなった可能性はあるかもしれません。
 近世になり、身分階級制度の形が崩れ、人々が職業の選択を獲得するようになってやっと、街には高級料理店など様々な凝った料理を食べさせる専門店が並ぶようになったようです。
 長い歴史をもつ中国においてさえ、一般民衆が(お金は必要ですが)高級料理を食べることができるようになったのは清朝が崩壊した後のことだそうで、これは王朝が滅び、それまで王朝がおかかえとして囲っていた専門の料理人たちが街に流出したことによるもののようです。

 ヨーロッパでも、18世紀くらいまではレストランのようなものはありませんでした。外出した時に何かを食べ様とするなら、通りの露店で果物など食べ物を買ったり、宿屋に入るという手がありました。しかし露店ではたいした物が食べられるわけもなく、また宿屋では決まった食事の時間になって初めて簡素なメニューが出て来るくらいのものでした。しかしフランスのパリなど大都市には「トレトゥール」と呼ばれる食事処のようなものがあったようです。このトレトゥールは客に軽食を食べさせ、また仕出し屋のように料理を作って運ぶというような商売をしていたようです。ただし、ここもメニューが少なかったり、小量の注文ができなかったりとなかなか外食というには不便なところだったみたいですね。
 「レストラン」らしい店が初めてできたのは18世紀のパリでした。この店は客に簡単な料理を食べさせ、「レストラン」という名の特製スープが名物だったとか…。
 ファンタジー世界では酒場、または1階が酒場になった宿屋(酒場宿=INN)がよく登場しますね。皆さんも「ギルガメッシュの酒場」「憩いのわが家亭」など、ゲームや小説などに登場する、有名な酒場や宿屋の名前も聴いた事があると思います。冒険者たちの憩いの場であり、活力回復の場でもあります。ファンタジーは史実ではありませんから、充分な金さえもっていれば高級料理は食べられるかもしれません。また、各々の街のいろいろな酒場には、名物料理といえるようなものもあるかもしれません。
 ただし料理人ギルド(仮)が存在し、なおかつ強い力をもって、高級料理の一般への流出を厳しく管理しているようなところでは、あまりたいした料理は食べられないかもしれませんけどね(笑)。ただ、史実と違い、冒険者のように充分な金を持った客層が固定客として付くような事が一般的な事として考えられる場合(多くのファンタジーのように)、料理人ギルド(仮)が冒険者など"お得意先"相手に料理の提供を制限するようなことはないかもしれません。つまり冒険者の宿や酒場では、普通に凝った料理が食べられる(もちろん充分な金があればですが)という事でいいと思います。まあ街などによっては、(冒険者相手の)酒場(または酒場宿)は料理人ギルド(仮)の料理人を〜人雇わなければならない…とか、料理を作って客に出す商売をするものは必ず料理人ギルド(仮)に加入しなくてはならない…など、しきたりや決り事などがあるかもしれませんね。

 ホームタウンをもつ冒険者であれば、「いつもの」馴染みの酒場宿の1つでもあることでしょう。冒険から無事に帰還し、お気に入りの席で美味い料理を楽しみ、仲間たちと語らう、そんな店があるのも1つの喜びかもしれませんね(笑)。


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